三島市は、富士南麓、箱根西麓の伊豆半島の付け根に位置し、自然を望む絶景や浜松に次ぐうなぎの産地でもあります。今回はそんな三島市にある「箱根旧街道石畳」の概要と特徴をご紹介します。
●所在地:三島市笹原新田 東海道
●アクセス:JR小田原駅より小田急線の箱根湯本駅で箱根登山バスに乗車し「旧街道石畳バス停」で下車
「箱根旧街道石畳」には下記のような特徴があります。
[特徴1]:通称「箱根八里」で知られる天下の難所
[特徴2]:412本ほどの大木に往時の静かな佇まい
江戸時代初期の箱根越えの坂道は、雨が降ればすねまで泥に潜ってしまうような悪路で、ここを通る旅人は大変な苦労をしました。幕府はこうした旅人の便を図るため、街道に箱根竹(はこねだけ)を敷きましたが根本的な解決には至らず、延宝8(1680)年に金1,406両余をかけて石敷きの道にしました。これが今日有名な箱根の石畳です。 三島市は平成6~9年度まで、町おこしを目的とした箱根旧街道石畳の整備事業を実施しました。整備の対象となったのは笹原(ささはら)・上長坂(かみながさか)・浅間平(せんげんだいら)・腰巻(こしまき)・願合寺(がんごうじ)の5地区で、全長約2キロメートルです。
整備に先立つ発掘調査の結果、石畳は一辺が30~70センチメートル・厚さ20~30センチメートル程度の大型の石材を道の両側に直線的に配置し、その内側にやや小型の石材を隙間なく敷き並べた、幅二間(約3.6メートル)を基本とする道であることがわかりました。江戸時代の石畳に使用されていた石材の大部分は、板のように割れる性質の安山岩(あんざんがん)で、街道周辺の来光川(らいこうがわ)等の沢筋から運んできたものと推定されています。
また、石畳の石材はローム層の上に直接据えられており、特別な基礎構造は作られていませんでした。大型で重量のある石材を組み合わせることによって、基礎を作らなくても十分な強度が得られていたのです。しかし、特に傾斜の強い場所や、安定の悪い石材の下には、粘土に小石を混ぜ合わせた基礎材が敷かれている場合もありました。
こうした発掘調査の結果と地形的な制約に基づいて、大まかに整備を行いました。新たに補充した石材は、本来の石畳の石材とよく似た小田原市根府川の安山岩を使用しました。